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HP「天像俳句館」をご覧のみなさまへ

 投稿者:正岡豊  投稿日:2010年 9月 3日(金)11時02分37秒
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  管理者の正岡です。

二年と少し前に転居してから、事情と怠惰とでネットのことは
ほったらかしにしておりました。
プロフに書いてある住所や、トップページのメールアドレスにはもう
何をおくっても届かないと思われます。
メール便だと返送されないので、
ここ一年に何かを送っていただいた方には、
まことにもうしわけなく思っています。

8月あたりから、mixiで日記を再開しています。
ミクシィは「足あと」が残ってしまうので、
見るのに抵抗があるひとも少なくないとは思うのですが、
なんとなく一番書きやすかったというのが主で他意はありません。
一応「友人の友人」までの公開にしているので、それでたいていのひとには
読もうと思えば読めるのではと勝手に思っています。
それでも読めないひと面倒でしょうがメッセージいただければうれしいです。

ここ一二年の短歌のことで思うのは、結局ほとんどすべての短歌作品が
「人間と人間の関係」に還元されてきたような気がすることでしょうか。

*六月の夜への挨拶「殺される美しいおばあさんおやすみ!」
                  塚本邦雄

という歌がありますが、たとえばこの歌など、
「もしもおばあさんが殺されると知っていたなら、私だったら警察に言うとか、
 本人に注意するとかするでしょう。比喩だとか詩的幻想とかいわれても、
 殺される→おやすみ、というのは私には理解不能です。茂吉に「オリーブの
 あぶらのごとき」という直喩の歌がありますが、あれなどはわかるわからない
 を抜きにしても、あの歌でたとえば小豆島の実在のオリーブ栽培業のひとなんかが
 傷ついたり違和感を持つとかは考えられません。別に誰が何を書こうがひとは
 自由ですが、根本的には、人間の関係として詩歌というものはあるのではないでしょうか」

 という風に読まれるのではないですかね。
 「それを人間関係を大事にしないお前が言うか!?」
 という叱責はその通りで、深くお詫びいたします。
 が、どこか違和感が残るのも事実は事実です。
 30年間弱ほど詩歌を横からながめてきたわけですが、
 時代が移るのではなく、時代が塗り替えられるように変わるという感覚は、
 はじめて感じるものです。
 現在からみてこうなら、それは正しいのだ、という感覚は、
 どうなのでしょうか・・・。
 人間と人間の関係以外に何があるのか、という問いには一番回答しにくい
 ですけどね。
 確かにそれ以外何もないように私にも見えるので。

 というようなことですか。
 ネットはそれ自体大きな「サービス」で、その中で常に新しいサービスが
 盛衰してきたものです。それもこれからは変わらないでしょう。
 今見えるもの、目の前にあるもの、確かにそれはすべてでしょう。
 でもやっぱり私には「世界の果て」はあるのだと思いたいのです。
 「世界の果て」と「こちら」とを、常に行き来できるような回路や通路のような、
 そんな一首やら歌集やらを、こころのどこかで求めてゆきたいですね。
 
 
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